眠れない夜のララバイ 

誰もが自分を愛し、他者とも上手くいき、楽しく暮らすことを目指す、お婆さんのブログです

年を取ること・・思い出の豊かさ

 次の詩を私は若いころ「心理学」の授業で配られたプリントによって知りました。

その詩をご紹介したいと思います。

 

(パット・ムーアは若い工業デザイナーの女性で、高齢者向けのデザインを考える上で、自分が「高齢者」に変装して三年間生活してみたところ、高齢者への虐待や差別を体験し、その体験が現在の「ユニバーサル・デザイン」を生むきっかけとなったとのことです)

  

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私(パット・ムーア)の仕事について聞き及んだ多くの人たちから私は手紙をもらう。私が読んだ中で最も感動させられたもののひとつは、イギリスのヨークシャーから来たものだった。

それは、その近くのアシュルディー病院の老人病棟で働いている看護婦さんからだった。

その病棟(びょうとう)で一人の老婦人が亡くなり、彼女の持ち物を調べた看護婦が詩を見つけたという。

その詩は職員に非常に深い感銘(かんめい)を与えたのでコピーがつくられ、病院の看護婦全員に配られたのだそうだ。その時のコピーが同封されていた。

 

 

 

何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの

あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう

気むずかしいおばあさん、利口(りこう)じゃないし、日常生活もおぼつかなく

目をうつろにさまよわせて

食べ物をぽろぽろこぼし、返事もしない

あなたが大声で「お願いだからやってみて」と言っても

あなたのしていることに気づかないようで

 

 

いつもいつも靴下(くつした)や靴をなくしてばかりいる

おもしろいのかおもしろくないのか

あなたの言いなりになっている

長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり

これがあなたが考えていること、あなたが見ていることではありませんか

 

 

でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見てはいないのですよ

私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が

あなたの命ずるままに起き上がるこの私が

あなたの意志で食べているこの私が誰なのか

 

 

私は十歳の子供でした。父がいて、母がいて

兄弟、姉妹がいて、皆お互いに愛し合っていました

十六歳の少女は足に羽をつけて

もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました

二十歳でもう花嫁。私の心は踊っていました

守ると約束した誓いを胸にきざんで

二十五歳で私は子供を産みました

その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの

三十歳、子供はみるみる大きくなる

永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて

四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった

でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました

 

 

五十歳、もう一度赤ん坊が膝(ひざ)の上で遊びました

私の愛する夫と私は再び子供に会ったのです

暗い日々が訪れました。夫が死んだのです

先のことを考えーー不安で震えました

息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから

 

 

それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました

 

 

今私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷(ざんこく)です

老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談

体はぼろぼろ、優美さも気力も失(う)せ、

かつて心があったところにはいまでは石ころがあるだけ

でもこの古ぼけた肉体の残骸(ざんがい)にはまだ少女が住んでいて

何度も何度も私の使い古しの心をふくらます

私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す

そして人生をもう一度愛して生き直す

年月はあまりに短すぎ、あまりに速く過ぎてしまったと私は思うの

そして何物も永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです

 

 

だから目を開けてよ、看護婦さんーー目を開けて見てください

 

 

気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよく見て!

 

 

 

 若かった当時、この詩を読んだとき、せつなさに胸がしめつけられるようでした。

 

今読んでみても自分が年をとった分、身につまされて、せつなさを感じます。

 

ただ、いまは別の視点でも見れるようになりました。

それは、思い出の豊かさです。

 

この老婦人にとって、 色あせた灰色の現在を生きるのに、色とりどりの思い出がどれほどちからになったことでしょう。

 

思い出は誰かに盗まれることもなければ、物のように失くしてしまう恐れもない自分だけの宝です。

 

自分を自分たらしめるのが、その時、その時代をひたすらに生きた自分自身の姿であり、さまざまな思い出なのかもしれません。

 

 

 彼女は自分を知ってほしかった。「気むずかしいおばあさん」という「分類」としてではなく、この世にただ一人の「個」としての「私」を知ってほしかった。

 

 でも、それはかないません。

彼女の深い孤独感が伝わってきます。

 

 

彼女は、思い出をよみがえらせ生き生きと動かすことで、自分の気持ちを引き立て、慰(なぐさ)め、人生を何度も生き直したのでしょう。

 

 

私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す

そして人生をもう一度愛して生き直す

 

 

喜びの思い出だけではなく、苦しかった思い出もひっくるめて自分の人生を肯定して。

 

 

私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること

私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること

 

 

 

それでは今夜はこれにて、、、

今夜もあなたに Good Night !