眠れない夜のララバイ 

誰もが自分を愛し、他者とも上手くいき、楽しく暮らすことを目指す、お婆さんのブログです

人生はプロセスだと思う

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私は、人生は結果より、プロセスにこそ価値があると思っています。

 

 

人生にはいくつかの、視点の変わり目というものが、誰にでもあるのかもしれません。

 

 

たとえば私が

「人生はプロセスだ!」

と「!」付きで思ったのは30代。

 

ヘミングウェイの小説「老人と海」を通してでした。

 

 

 実は「老人と海」を初めて読んだのは中学生でした。中学生の私は、苦労して獲得した獲物(えもの)なのに、骨しか持って帰れなかったことへの悔(くや)しさや不愉快さを強く感じて、二度と読まないと思っていました。

 

 

しかし、30代。

どうしたことか、二度目の「老人と海」です。

気が向いた時だけつけている『読書メモ』によると、「今読み終えて何の無念さも心残りもない。むしろ、満ちたりた快さと爽やかな清涼感を感じる」と、180度の変わりようです。

 

 

以下にあらすじを書きます。

 

***************

 この作品は、メキシコ湾流に小舟に乗って漁をして生計を立ててきた一人の老人が主人公です。

老人は運に見放され、三か月近く魚がとれずにいます。

「運に見放された」からと、それまで一緒に漁に出ていた心の通い合う少年とも、親の意向で離れさせられてしまいます。

 

ある日、老人が一人で沖へ出たとき、巨大なマカジキ(約5.5m)が鉤(かぎ)に掛かります。

鉤にかかっても焦らず、悠々として闘いを挑んでくるマカジキに対し、老人は尊敬と愛情を深めながらも、獲物より小さな小舟で、全力で闘い続けます。

ロープの食い込みによる肩や掌(てのひら)の出血や痛みをこらえ、片手がひきつって使えなくなろうと、夜の寒さに震えようと、意識朦朧(いしきもうろう)になろうと、老人は決して絶望しません。

障害を乗り越える方法を考え、驚くべき意志の強さと実行力をもって乗り越えていくのです。

しかし、老人は決して強いだけの人間では、もちろんありません。

「あの子がいてくれたらなあ」

と、老人は何度も何度も口にします。

 

老人は、丸三日間にも及ぶ闘いの末、巨大なマカジキに勝利をおさめます。

しかし、死闘の末やっと手に入れたマカジキは、次々にサメに襲(おそ)われ、食いちぎられて行き、港へはむなしく、マカジキの骨だけを引いて帰ってくることになります。

その骨を観光客の女性が見つけたときの様子が、こう描写してあります。

そのとき一人の女が、ビールの空き缶や、かますの死んだのなどにまじって、大きな尻尾(しっぽ)をつけた白い巨大な背骨が一本浮かんでいるのを認めた。東風に吹かれて大きくうねる外海のうねりにつれて上下する海水の動きのままに、浮きつ沈みつ揺らいでいる。

 

そして、少年と老人の会話です

「これからはまた二人でいっしょに行こうよ」

「駄目だ。おれには運がない。運に見放されちまったんだ」

「運なんてなんだい」と少年は言った。「運はぼくが持っていくよ」

「おまえの家の者がなんて言うかな?」

「かまうもんか。(略)これからは二人でいっしょに行こうよ。教わりたいことがまだいっぱいあるんだ」

 

 

ヘミングウェイ「老人と海」野崎孝 訳 集英社版 世界文学全集より

上記の引用も、これに同じ。

 

   **************

 

ふと思うのです。

 

人は誰もが、大海に小舟でひとり漕(こ)ぎ出している漁師なのかもしれない、と。

 

そこで何と出会い、どう闘い、何を愛し、

何を獲得していくのか、わかりません。

 

 

最後に港にたどり着いてみれば、収穫はゴミにしか見えない骨だけかもしれません。

 

 

しかし、

その骨を得るに至ったプロセスこそが、

真に価値ある収穫なのだ、

と私には思えるのです。

 

 

そのプロセスは、もしかすると自分以外だれも知らないことかもしれません。

 

 

でも、自分だけは知っているのです。

ありがたいことに。

 

 

老人と海 (光文社古典新訳文庫)

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老人と海(新潮文庫)

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それでは、今夜はこれにて、、、

今夜もあなたに Good  Night !