十数年前の冬のことです。
遠方に住んでいる父が、1週間ほど我が家に滞在したことがありました。
父は前立腺がんが進んだ状態であると診断され、手術をすすめられていたのですが、どうしてもイヤだと拒否していました。
私はいろいろ調べてゲルソン療法なるものを知ります。
ゲルソン療法の詳しい話は措(お)きますが、無農薬かそれに近い育てられ方をした大量の人参(にんじん)や野菜をジューサーでしぼり、しぼりたてを何度も飲むのです。
幸い、その当時は田舎暮らしをしていたので、無農薬栽培の農家さんから人参を分けてもらうことができました。
馬でも飼っているんですかとあきれられる量の、泥のついた人参を外の水道でせっせと洗っていた時のことです。
姿は見えないのに濃厚なヒトの気配(けはい)を感じたのです。
え?と思う間もなく気配は人参を持つ左手と、タワシを動かす右手に重なったのです。
私が洗っていることに間違いないのですが、誰かと一緒に洗っていることにも間違いないのでした。
北風の吹く中、冷たい水を使う作業を買って出る人はひとりしか思い当たりませんでした。
とうに亡くなっている私の祖母、父の母親です。
にんじんを洗う作業が終わると、祖母は離れていきました。
その日の夕食のとき、再び祖母は現れました。
テーブルには父と私が向かい合う形で座っていましたが、またも感じた濃厚な気配は、はじめは父と私の間にありました。
しかし、間もなく私のそばに来ました。
そして、私の右の背中の近くにしばらくの間佇(たたず)んでいましたが、やがて消えました。
私は不思議でした。父が心配で現れたのでしょうから、父のそばにいたいのではないのか。なぜ父のそばを離れて、私のそばにいるのだろうと。
考えた末、祖母は父の世話をしたいのだと思いました。私の手を通して。
いつも息子を見守っていたものの、手術も拒否するのを見て、 このままでは命にかかわると、矢(や)も楯(たて)もたまらず、わが子の世話をしに来たのでしょう。
父はその時すでに後期高齢者でした。
子どもが何歳であっても、母親というものは、、、と思ったものでした。
祖母の気配を感じたのは、その日だけでした。
父に、いま祖母が来ているみたい、と伝えると父は驚きもせず、そうか、とニッコリしました。
ちなみに、父は自宅に帰ってからもゲルソン療法を続け、がんの勢力を示す血液データは主治医が首をかしげるほど良い状態が半年ほども続きました。
しかし数値が上がってきてしまい、放射線療法を受けました。そのころからゲルソン療法はやめにしましたが、がんは完治し、今も元気でいます。
祖母も安心したのか、あれ以来、現れません。
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次にご紹介する詩は、当時百歳近かった柴田トヨさんの処女詩集「くじけないで」から、息子さんへ宛てた詩二編です。
倅(せがれ)に Ⅰ
何か
つれぇことがあったら
母ちゃんを 思い出せ
誰かに
あたっちゃあ だめだ
あとで 自分が
嫌になる
ほら 見てみなせ
窓辺に
陽がさしてきたよ
鳥が 啼(な)いてるよ
元気だせ 元気だせ
鳥が 啼いてるよ
聞こえるか 健一
倅に Ⅱ
かあちゃんが
惚(ぼ)けることなど
心配すんな
今日は日曜日だろ?
あんたは 健一
やさしくて短気な
たった一人の倅
なんでも まだまだ
わかっているよ
さあさあ行った行った
自分の仕事を
しておくれ
柴田トヨ 「くじけないで」より (株)飛鳥新社
それでは、今夜はこれにて、、、
今夜もあなたに Good Night !
*この記事は一時はずしていましたが、復活させました。